「斜陽族」という流行語を生んだ小説
久しぶりに太宰治の「斜陽」を読みました。
もう、4、5回は読んでいますが、読むたびに新しい発見があります。その時々の年齢で、思い入れの深くなる登場人物が変わり、毎回違った角度から物語を楽しんでいます。これが読書の醍醐味ですね。
「斜陽」は1947年(昭和22年)に発表されました。
「斜陽」とは
没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした。斜陽という言葉にも、国語辞典に「没落」という意味が加えられるほどの影響力があった。太宰治の生家である記念館は、本書の名をとって「斜陽館」と名付けられた。
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登場人物4人の滅びと革命
1945年の終戦による社会の混乱により、多くの上流階級の人々が没落しました。貴族(華族)階級であったかず子、直治、その母も戦後没落し、東京から伊豆の山荘へ都落ちします。
もうお金もなく、しかし生活力もなく、持っている着物を売って生活する日々。
かず子、着物を売りましょうよ。二人の着物をどんどん売って、思い切りむだ使いして、ぜいたくな暮らしをしましょうよ。私はもう、あなたに、畑仕事などさせたくない。高いお野菜を買ったって、いいじゃないの。あんなに毎日の畑仕事は、あなたには無理です。
生まれながらの優雅さをもつ、本物の貴族である母は結核になり日に日に弱って行きます。
私には、このお母さまが、亡くなるという事は、それは私の肉体も共に消失してしまうような感じで、とても事実として考えられないことだった。これからは何も忘れて、このお母さまに、たくさんたくさんご馳走をこしらえて差し上げよう。おさかな。スウプ。缶詰。レバ。肉汁。トマト。卵。牛乳。おすまし。お豆腐があればいいのに。お豆腐のお味噌汁。白い御飯。お餅。おいしそうなものは何でも、私の持物を皆売って、そうしてお母さまにご馳走してあげよう。
かず子の弟の直治は、貴族でありながら貴族を憎み、しかし、一般大衆として生きることも出来ず、苦しみ抜いた末破滅します。
彼の最後の魂の叫びには、読んでいて思わず鳥肌が立ちました。(ここではあえて引用はしません)
また、かず子が心を寄せる田舎の百姓の息子である作家・上原も社会に反抗するように自暴自棄になり、退廃的な生活を続け破滅へと向かっていきます。
この上原の振る舞いはまるで太宰治のようです。しかし、お母さまや直治の中にも太宰治はいるのではないでしょうか。
この4人の中で、唯一、かず子だけが新しい時代に向かって強く生きて行く決意をします。
かず子は、太宰の愛人である太田静子がモデルになっているそうです。
作家・太田治子の母親です。
こちらの本を「斜陽」と合わせて読むことをお勧めします。
「斜陽」が生み出された経緯。父と母との恋愛。
読んでいて、胸がいっぱいになりました。
太宰治の生涯
この「斜陽」を発表した翌年、太宰治は愛人の一人である山崎富栄と入水自殺をしました。
太宰はその年の初め、結核による喀血があり、病気はそうとう悪い状況になっていたそうです。
青森の大地主の家に六男坊として生まれ、特権階級であることに負い目を持っていた太宰。
同時に、東京に対してのコンプレックスも強く持っていたそうです。
当時は長男だけが優遇される時代であり、六男である彼は、あまり両親の愛を受けることなく育ちました。
多くの素晴らしい作品を発表しながらも、数回にわたる自殺未遂、ひどい薬物依存など、退廃的な生活を続けた太宰。
彼はかず子のように戦後の社会の混乱の中を強く生きていくことは出来なかったのでしょうか。
太宰の生涯を知った上でこの小説を読むと、また違った楽しみ方が出来るでしょう。
おわりに
さらさらと流れるように、美しい文章で描かれたこの物語。
一般的にマナー違反とされる振る舞いをしても、その仕草が下品になることなく、かえってとても可愛らしく、品性の良さがにじみでる『お母さま』。
かず子も直治も、そんな母を「ほんものの貴族」と評します。
もう、何年も前のことですが、ある女性ファッション誌で女優の三田寛子さんが、
「斜陽」は愛読書であり、その『お母さま』は自分の理想の母親像だと言っておられました。
私も『お母さま』に憧れる一人です。
美しい文章で描かれた、没落していく上流階級の日常生活。美しき滅びの世界。
何度読んでも味わい深い小説です。