心癒された時間に感謝をこめて
先日、市内にあるミニホールでクラシックのコンサートがあり、出演する知人からぜひ聴きにきて欲しいと連絡がきたので、1人で出かけて来ました。
演奏者は全員アマチュア。
そういうこともあり、無料のコンサートだったのですが、アマチュアとはいえなかなかのレベルで、聴きごたえのある、素晴らしい演奏でした。
帰りに、出口のところに募金箱がおいてありました。
お気持ちをお願いします、とのこと。
素晴らしい音楽を2時間も聴かせてもらって、心にたっぷりの栄養をもらったのです。
たくさんのお金はないけれど、自分の無理なく出せる範囲の金額を入れてきました。
誰かを応援するためにお金を使う
募金箱をちらりと見て、そのまま立ち去る人もいました。
私もそうしていれば、無料でクラッシックコンサートが楽しめて、とてもお得な気持ちで大満足だったかもしれません。
でも、本当に一点の曇りもなく満足して会場を後に出来たでしょうか?
若い頃の私であったなら、そうだったかもしれません。
せっかくの無料のコンサートなのに、金額は自由だとはいえお金を払うなんて勿体ない、という気持ちでそのまま会場を出ていたと思います。
けれども、現在の私にはそういう気持ちはありません。
人前で完璧な演奏をしようと思ったら、練習にどれだけ膨大な時間を費やさなければいけないか、私もピアノを弾くのでよく分かります。
会場を借りるお金、そして女性ならドレス代もかかります。
ドレスは、着ている本人だけでなく、観ている方も華やかさを味わえるので、演奏の場には必要なものだと思います。
私は、こういう気軽に足を運べるクラッシックコンサートが頻繁に開催されれば嬉しいので、少しでもお金の面で援助できればと考えています。
いつも出演者だけが負担するようなコンサートなら、なかなか頻繁な開催は難しいですし、そうなるとこちらも残念です。
ですから、こういったアマチュア演奏家を応援することは、結局自分のためになるのです。
幸せなお金の使い方を考える
誰かが幸せになるようなお金の使い方をしたい、と常々思っています。
もちろん、まずは自分が幸せに感じることが大事です。
上記のような誰かの活動を応援するようなことの他に、私が今実践しているのは、何かモノを買うときに、安い労働力を使うことによって価格を抑えた大量生産のモノを極力買わない、という選択です。
良い材料を使って、丁寧に作られたモノ。商品が出来上がり、消費者に渡るまでの過程で関わるすべての人の報酬が適正であること。
作る人も使う人も幸せになれるようなモノを買いたいと思っています。
厳しい家計にファストファッションやファストフードは強い味方です。
私も時には手を出すことがあります。
でも少しずつ、確実にそういう店での買い物は減らしています。
お金は出て行けばまたいずれ自分のところへ帰ってきます。
それならば、良いサイクルにのせて、プラスのパワーと共にまた受け取りたいです。
どうせ使うのなら、気持ちよく出して、気持ちよく受け取りたいものですね。