死んだらどこへ行くのだろう
死後の世界ってあるのでしょうか?
美輪明宏や江原啓之の本を夢中で読んでいた数年前は、生まれ変わりというのは本当にあって、魂は修行するために何度もこの世に生まれ変わるのだと信じるようになっていました。
でも今では、やはり死んだら無になるのではないかと思っています。
生まれてくる前も無。突然この世に生まれ、暫くして気が付けば自分の意識というものが存在している。
そして死んでしまったら、永遠の無が続くのです。
世界はいつから存在するのか、また、果てしなく広い宇宙は永遠に存在し続けるものなのか、そもそも、宇宙とは一体何なのか?
子どもたちの為に購入した、宇宙についての図鑑を見ていると、宇宙というのは果てしなく広く、気の遠くなるような世界です。
地球が汚染されて人類が滅亡しても、突然地球が爆発して無くなったとしても、何事も無かったかのように、宇宙は存在し続けるのでしょう。
そんな地球に、ほんの少しの間、奇跡のように生まれてきた私たち。
その短い、人の一生には何か意味があるのでしょうか?
どうせ死ぬのなら何でもできる
以前何かの本で、「人生は死ぬまでの暇つぶし」と書かれているのを読んだことがあります。
なるほどと思いました。
何だか気持ちが楽になりますね。
この世に生まれてきて、どんな思いで、どんな人生を送ったとしても、結局最後はみんな死んでしまうのです。
どうせ死んでしまうのです。
スティーブ・ジョブズも、「自分はいつか死ぬのだ」と意識することは、何かを失うかもしれないという思考の落とし穴にはまらずに済む最善の方法だ、と言っています。
どうせいつか死んでしまう、ということをネガティブではなく、ポジティブに捉えて意識すると、生きて行くのが随分楽になるのではないかと思います。
せっかくの命、楽しく生きなければ勿体ない
姫椿は時々、子どもの小さかった頃の写真や、自分の小さかった頃に両親と一緒に写っている写真を見返すことがあります。
まだ鮮明に記憶に残っている私と子どもとの思い出、そして私は覚えていないけれど、恐らく両親は覚えているであろうその時の情景。
皆が死んでしまったら、その思い出は一体どこへ行ってしまうのでしょうか?
楽しかったことも悲しかったことも、何もかもが消えて無くなってしまうのだと思うと、少し切ない気持ちになります。
でも、それはそれで潔いのかもしれません。
いつの日か確実に無くなってしまう自分。
長い長い世界の歴史の中の、ほんの少しの間の生を与えられた自分。
楽しく生きないと、勿体ないですね。
自分の心の声によく耳を傾け、本当に好きなこと、楽しいと思えることをして生きていきたいです。
何かに悩むとき、私はいつもこんな風に考えます。