東野圭吾著「虚ろな十字架」
今回読んだこの作品から、本当の意味での罪の償い、そして死刑制度の是非など、重いテーマについて深く考えさせられることになりました。
娘を殺された中原夫婦は、犯人に死刑判決が出た後に離婚します。
そして数年後、今度は元妻が何者かに殺されます。
死刑制度の是非
死刑制度は賛成か、反対か。
こんな重いテーマについて、ここで安易に自分の意見を述べることはとても出来ません。
それは、いくら考えても答えが出ないからです。
ただ私がいつも思うことは、死刑を反対する人は、
「ムカつくから殺したーーーー」
などと言うような人間に、自分の子供や親など大切な人が無残に殺されたとしても、その主張を変えずにいられるのか?ということです。
加害者の生育状況や精神状態、冤罪など、単純に白黒つけられないとろがあるので、何とも難しい問題ですね。
感情だけで人間を裁くことは危険な一面があるのかもしれません。
事件とは無関係の者による冷静な判断も必要なのでしょう。
しかし被害者側に立ってみれば、どんな理由があるにせよ目には目を・・という気持ちになるのは当然のことではないでしょうか。
償いの形
罪を犯して刑務所に入り、長い年月の服役やその先にある死刑は罪に対しての罰であり、償いであると言えます。
死刑にならなかったとしても、出所後の生活は前科者としての社会的な制裁が待っていることが多いでしょう。
もし私が被害者の家族だったとしたら、私は加害者に何を望むだろう?と考えます。
やはり死刑でしょうか?
それとも無期懲役?
長い服役の後、真っ当な人間になって社会復帰して欲しい?
刑務所の中にいなくても、自ら重い十字架を背負って生きて行くのも一つの償いの形かもしれません。
心の中は誰も分からない
どんな刑が決定されても、やはり加害者には悔い、そして悩み苦しんで欲しいと思います。
どんな罰が与えられようと、加害者がどんな気持ちで日々を過ごしているかは、誰にも分かりません。
本当に心から自分の罪を悔い、犠牲者への懺悔の気持ちを持って日々を送っているならまだ少しは救われるかもしれませんが、全く反省することがない者、また、悔い改めている振りをする者もいるでしょう。
そういう、全くの反省も苦悩もない加害者が望み通り死刑になったとしても、虚しさでいっぱいになるような気がします。
おわりに
結局、やはりいくら考えても答えが出ない問題でした。
自分が置かれている立場によって、考え方がぶれそうです。
しかし、すぐに答えは出なくても、考えるということは大事なことではないかと私は思います。
この小説は重いテーマについて考えるきっかけを与えてくれました。
物語としても面白い、とても良い作品だと思います。