娘とショッピングへ行ったけれど欲しいものがなかった
先日、娘が新宿へ行きたいというので二人でぶらっと出かけて来ました。
娘の買い物の付き合いと、ランチを楽しみました。
娘とお昼はどこで食べようかと悩んだ末、結局娘の希望する店に入ることに決めたのですが、最初はなかなか決まりませんでした。
私はここ数年、何が何でもこれが食べたい!と思うことがありません。ですから、あまり行かないレストラン街などでは、どのお店に入るか迷ってしまうことが多いです。
ランチの後は娘の買い物をし、私も服や雑貨などを見たりしましたが、それほど欲しいと思うモノがなく、私自身は何の買い物もしないで帰宅しました。
若い頃は欲しいものだらけだった
こんな私も昔は欲の深い人間でした。
会社員をしていた独身時代は、お給料すべてが自分の自由になるお金だったので、貯金もしていましたが、それでもたくさんのお金を使っていました。
フレンチ、イタリアン、懐石料理・・・。気軽な店も高級店も、美味しい料理を十分楽しみました。
だから今はもうそういう贅沢な食事にすっかり満足してしまって、丁寧に作った具沢山のお味噌汁や、つやつやの炊き立てご飯、納豆、焼き魚など、家庭のシンプルな料理を心から美味しいと感じ、そんな毎日の食事を心から楽しんでいます。
習い事は、やってみたいと思うものは大体やり尽くし、その結果やはり一番好きなものはピアノであるということを再認識し、今はピアノ一つに絞り、日々修練を重ねています。
服などのファッションアイテムも、沢山買いました。時にはハイブランドで買うこともありました。
これらも、良い経験になったと思います。高価で素敵な服やアクセサリー、靴、バッグ・・。十分楽しみました。
今では、手頃な値段で上質に見える服を探すのが楽しみの一つとなっていて、そのような服を着ているときに友人に褒められたり、実際の値段よりも高く見積もられたときは、嬉しくてたまりません。
散財した過去があり今の私がある
若い頃は随分浪費したように感じますが、今振り返ってみれば多少は未来への投資になっていたのではないかと思います。
若い頃の華やかな日々があったからこそ、今の質素な暮らしもまた楽しいと思えるのではないでしょうか。
もし、物質的に満たされない生活ばかりが続いていたら、欲望は膨らむばかりで、「足るを知る」ことなんて出来なかったかもしれません。
散財した日々から学んだことは沢山あります。これも私にとっては経験すべきことだったのでしょう。